俳優業だけでなく映画監督・映画評論家など幅広く活動されている、斎藤工さん。
学生時代からモデルとして活躍されていましたが、どんな学生生活を送っていたのでしょうか??
斎藤工のプロフィール(wiki)
本名 : 齊藤工(さいとう たくみ)
生年月日 : 1981年8月22日
出身地 : 東京都港区
血液型 : A型
身長 : 184cm
趣味 : 旅、合気道、サッカー
職業 : 俳優
事務所 : ブルーベアハウス
活動期間 : 2001年~
斎藤工の学歴まとめ!
斎藤工さんの学歴は以下の通り。
さっそく詳細を見ていきましょう!
斎藤工の小学校は「東京シュタイナーシューレ」
斎藤工の小学校は?
斎藤工さんは、私立の共学校である「東京シュタイナーシューレ」に入学されています。
同校の出身であることを公言しており、学校のHPにも卒業生として名前が載っています。
こちらの学校は何度か校舎を移転しており、現在(2024年時点)は神奈川県相模原市に設置されています。
また同校は日本初の全日制シュタイナー学校であり、ルドルフ・シュタイナーの提唱した【シュタイナー教育】を実践している小中高一貫校です。
シュタイナー教育とは
子どもの個性を尊重して、その能力を最大限に引き出す教育方法。「教科書を用いない・テストなど点数による評価を行わない・競争に勝つよりも興味を知ることにウェイトを置く」などのユニークな教育が行われている。
ちなみに、斎藤さんは系列の幼稚園からシュタイナー教育を受けています。
斎藤工の小学校時代は?
斎藤工さんの家族構成は、両親と2歳年上の姉の4人家族です。
父親は映画の制作・配給会社の東北新社に勤めており、その影響で子どもの頃から週2~3回と日常的に映画を観に行っていました。
学校生活においては、斎藤さんは同校の2期生で、当時シュタイナー教育はまだそこまで認知されていなかったこともあり、
記憶は曖昧ですが、全校生徒は5〜6人で、授業を僕1人で受けていた記憶もあります
と話しています。
小学校時代は地元のサッカークラブに入っていた他、柔道や合気道も習っており、横浜Fマリノスの大ファンだったようです
また、小学校4年生の時には姉と一緒に、イギリスのサマースクールに参加をしています。
なおこちらの学校は7年制でしたが、斎藤さんはサッカーの強い公立中学に進学したかったため、小学校6年生の3学期に公立小学校へと転校しています。
転校した際、あまりにもシュタイナーシューレとの教育方針が違ったため、戸惑ったことも明かしています▼
勉強方法は全然違ったし、点数をつけられてランキングで評価されることも今までなかったこと。単純にクラスの人数が多いということだけでも大きな変化でした。
シュタイナー学園HP
年齢的に多感な時期でもあり、最初は同級生からの目線が怖く感じクラス全体からも異分子が加わることへの反感のような空気を感じたそうですが、
んだそう!
今でもその彼とは親友なんだとか✿
斎藤工の中学は「世田谷区立梅丘中学校」
斎藤工の中学は?
斎藤工さんは、東京都世田谷区にある「世田谷区立梅丘中学校」を卒業しています。
同校の「出身有名人」に斎藤さんの名前が載っています▼
斎藤工の中学時代は?
こちらの学校はサッカー部が強豪で、斎藤さんは前述の通りサッカーの強い地元の公立中学に進学したいと考え、同校に進学しています。
そのため、中学時代はサッカー部に所属し毎日熱心に取り組んでいました。
また担任の教師が「リアルGTOみたいだった」と振り返っており、暑い日に自身を含めた男子生徒を校庭に並べビンタをしていたという驚きのエピソードを明かしています…!
ちなみに、この頃から映画を作ってみたいとシナリオを書いてみたり、父親の仕事場である映画の撮影現場にも見学に行っていたそうです
斎藤工の高校は「日本学園高等学校」
斎藤工の高校は?
斎藤工さんは、東京都世田谷区にある「日本学園高等学校」を卒業されています。
同校HPの【校長日記】に、「卒業生」として斎藤さんが紹介されています▼
また学園出身の若手俳優である斎藤工さんの紹介もあります。
(中略)私は、あまりテレビドラマは見ませんが、OBが出ている番組となれば、話は別です。
日本学園中学校・高等学校HP
こちらの学校は1885年開校の男子校で、かつては名門進学校として知られていました。
男子校だったこともあり、当時の斎藤さんはエッチなことばかり考えていて、映画のヒロインに恋したりもしていたんだとか
男子校だったので、映画の中のヒロインに恋したりして。ブレッソンの『スリ』に出ていたマリカ・グリーンや『月曜日のユカ』の加賀まりこさんに恋してました
高校生でモデルデビュー!海外で絶体絶命の大ピンチ!?
斎藤さんは父親が映画関係の仕事をしていたことから「いずれ映画業界で働きたい」と志しており、そのためにまず俳優になろうとしました▼
幼い頃から映画が好きで、将来は映画業界で働きたいと思っていました。いきなり作る側を目指すのではなく、役者を経験してから監督になったほうがおもしろいと思い、役者を目指しました
TOWN WORK
そのため、「俳優になるにはまずモデルから」ということで、
を飾っています!
その後は「TAKUMI」の名義で活動し、「MEN’S NON-NO」や「POPYE」などの雑誌に起用されたり、ファッションショーにも出演するほどの人気モデルになります
さらに、ノンフィクション作家・沢木耕太郎さんの『深夜特急』に影響され、なんと海外に一人旅に出るようにもなります!
行先はパリや香港で、貧乏旅行だったため旅費を稼ぐために現地でモデルのオーディションを受けていたとのこと。
旅先では様々なトラブルに遭遇しており、
- 荷物を全て盗まれる
- ホテルで知り合ったカップルの部屋にガラの悪い男たちが押しかけ、警察に通報されることを疑われてジャガーで連れされる
などの仰天エピソードを持っています
ちなみにジャガーで連れされた後は郊外の小高い丘でシャベルで穴を掘らされ、殺されることを覚悟します。
穴を自分の腰あたりまで掘ったところで、急に男たちは奪ったパスポートなどをその穴に投げ込むと「ジョークだ!」と言って無事開放してもらえてたんだそう…!
高校生の時にこのようなショッキングな目に遭ったことから、
ある意味、今は余生です
と語っているほどです。
そんな学生とは思えない行動力を持ち大人びていた斎藤さんですが、過去に番組内で
ことも明かしています
斎藤工は大学に行かず「伊藤正次演劇研究所」へ入所
斎藤工さんは、高校卒業後に東京の代々木上原にある「伊藤正次演技研究所」に入所されています。
伊藤正次演技研究所とは
俳優の伊藤正次が設立した俳優養成所。
斎藤さんは当初、映画美学校に進学しようと願書も送っていましたが、父親から
映画は机の上で学ぶものじゃない、お前は一刻も早く現場に出ろ
と言われたことから、進学することを止めて本格的に俳優を目指すことにした結果、こちらの養成所に入所し演技を学ぶこととなりました。
斎藤さんが在籍していた時は当時中学生だった貫地谷しほりさんもおり、一緒のクラスを受講していたんだそう
その後、
を飾っています!
以降、着々と俳優としてのキャリアを積み、33歳の時に出演したドラマ『昼顔』にて大ブレイクを果たします
なお、2012年には監督デビューもしており、幼少期からの夢を実現し映画監督として活動もされています✿
まとめ
今回は、斎藤工さんの学歴についてまとめてみました!
小学校時代にシュタイナー教育を受けていたり高校時代には海外に一人旅していたなど、学生時代にたくさん貴重な経験をされていたことがわかりました。
今後の幅広い活躍も楽しみですね!
最後までお読みいただきありがとうございました✿